沈黙の山嶺(下) 第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト
ウェイド・デイヴィス / 本
沈黙の山嶺(下) 第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト電子ブックのダウンロード - ウェイド・デイヴィスによる沈黙の山嶺(下) 第一次世界大戦とマロリーのエヴェレストは白水社 (2015/5/26)によって公開されました。 これには430ページページが含まれており、本というジャンルに分類されています。 この本は読者からの反応が良く、1人の読者から4.2の評価を受けています。 今すぐ登録して、無料でダウンロードできる何千もの本にアクセスしてください。 登録は無料でした。 サブスクリプションはいつでもキャンセルできます。
沈黙の山嶺(下) 第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト の詳細
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タイトル : 沈黙の山嶺(下) 第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト
作者 : ウェイド・デイヴィス
ISBN-104560084343
発売日2015/5/26
カテゴリー本
ファイル名 : 沈黙の山嶺-下-第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト.pdf
ファイルサイズ27.26 (現在のサーバー速度は21.63 Mbpsです
沈黙の山嶺(下) 第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト電子ブックのダウンロード - 内容紹介 世代、階級、そして植民地主義の終焉という形で国家(英国)をものみ込んでいった第一次大戦後の時代の空気を、英雄マロリーら、エヴェレスト初登頂に賭けた若者たちの姿を通して描いた大作。 出版社からのコメント 夢枕獏氏推薦!ヒマラヤ登攀史最大の謎に迫る 英国の登山家ジョージ・マロリーは一九二四年六月八日、アンドリュー・アーヴィンとともにエヴェレストの山頂をめざし最終キャンプを出発したが、頂上付近で目撃されたのを最後に消息を絶った。果たしてマロリーは登頂したのか――。 十九世紀の植民地主義が終焉を迎え、大戦へと突き進んで甚大な被害を出した英国。その威信回復の象徴となったのがエヴェレスト初登頂の夢だった。一九二一〜二四年の間に三回にわたって行なわれた遠征では、参加した二六名の隊員のうち戦争経験者は二〇名にのぼった。 本書は、血みどろの塹壕戦をからくも生き抜き、世界最高峰の頂をめざして命を懸けたマロリーら元兵士たちの生きざまを通して「時代」に息を吹き込んだ歴史ノンフィクションである。気鋭の人類学者である著者は、未発表の手紙や日記のほか各地に遍在する膨大な資料を渉猟し、執筆に一〇年をかけて彼らの死生観にまで迫る。 兵士として隊員として、常に死と隣り合わせだった若者たちの「生」を描いた傑作! 【サミュエル・ジョンソン賞受賞】 内容(「BOOK」データベースより) 隊員26名中20名がかつて兵士・軍医だった。血みどろの塹壕戦をからくも生き抜き、世界最高峰の頂をめざして命を懸けた元兵士たち―。気鋭の人類学者が執筆に10年をかけ、彼らの生きざまを通して「時代」に息を吹き込んだ歴史ノンフィクション大作!サミュエル・ジョンソン賞受賞。 著者について 1953年カナダのブリティッシュ・コロンビア州生まれ。処女作The Serpent and the Rainbow (1985)(『蛇と虹』草思社)で脚光を浴びる。2012年、本書Into the Silence (2011)で、優れたノンフィクションに与えられるサミュエル・ジョンソン賞を受賞。ナショナルジオグラフィック協会専属探検家を経て、現在はブリティッシュ・コロンビア大学人類学部教授。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) デイヴィス,ウェイド 1953年カナダのブリティッシュ・コロンビア州生まれ。ハーヴァード大学で博士号取得(民族植物学)。ハイチのゾンビ現象を民間信仰ヴードゥーの呪術と毒薬の作用に求めた処女作The Serpent and the Rainbow(1985)(『蛇と虹』草思社)で脚光を浴びる。2012年、『沈黙の山嶺―第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト』Into the Silence(2011)で、優れたノンフィクションに与えられるサミュエル・ジョンソン賞を受賞 秋元/由紀 米国弁護士。学部時代に真田濠で岩登りの手ほどきを受け、北はサシルイ岳から南は宮之浦岳までを歩く。米国で弁護士資格を取得後、開発援助や環境問題に関する非政府団体でスタッフを務めるかたわら、主にヒマラヤの登山記を収集。宝物はEric Shipton,The Mount Everest Reconnaissance Expedition 1951の初版本。訳書にタンミンウー『ビルマ・ハイウェイ』(第26回アジア・太平洋賞特別賞受賞)がある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
カテゴリー: 本
以下は、沈黙の山嶺(下) 第一次世界大戦とマロリーのエヴェレストに関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
下巻は、1921年の結果と1922年、1924年のアタック、そしてかなり長めの「注釈付き参考文献」である。本書を読む限り、1921年に頂上にたどり着くことが困難であることは、隊員たちにも分かっていたと思われる。エヴェレストの麓まで入り込んだのは初めてのことであり、測量をしながら地図を作っていることを考えると、当然とも言えよう。そして、1922年と1924年には、頂上到達のチャンスは十分にあったことが分かる。上巻のレビューにも書いたが、エヴェレストへのチャレンジの背景に、第一次世界大戦で疲弊したイギリスの国威発揚がある。それがあったからこそ、金も人も集まり、困難な道のりを克服している。しかし、一方で頂上調達を阻んだのも、隊員の多くがあまりにも徹底して“イギリス人”であったためではないだろうか。1922年には、パブリックスクール出身者でないジョージ・フィンチが持ち込んだ酸素に対して不信感を抱き続ける。その1922年に酸素を使って当時の最高到達点を達成したフィンチは、1924年には選から漏れている。1924年の時も、マロリーや1922年に体験したジェフリー・ブルースはともかく、やはり多くの隊員たちが酸素利用に対して、不信感もしくは抵抗感を持ち続けている。また、服装などについても、妙な偏狭さが垣間見える。豊富な資料を背景に、こういった点について丁寧に辿っている。もし、隊員の多くが、もう少し柔軟な思考・姿勢を持っていたら頂上に到達できたのではと思えてしまう。中心となる人物はマロリーなのだが、オロヴァー・ウィーラー、ハワード・サマヴェル、フィンチが印象に残る。本書を読まなければ知ることがなかったはずだが、極めて興味深い部分を持っている。「注釈付き参考文献」を読んでいて気付いたのは、頂上へのアタックに関わった隊員たちのほとんどは、ヘミングウェイに代表される「失われた世代」と同世代である。第一次世界大戦の経験を背負いながらも、従来の“イギリス人”から抜け出すことなくエヴェレストに向かうことで生命を燃焼させたマロリーたちと、大戦後にパリで“自堕落な日々”を過ごしながら自己の芸術を形成していった「失われた世代」の対比も考えてみると面白い。
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